流れって、あると思う。
良い、悪いがある。
様々な要因が、流れをつくっている。
世の中全体の大きな流れには、なかなか抗うことが難しいと感じる。
せめて、自分の手の届く範囲の流れだけは、良くしておきたいと思う。
そのためには、心身の余裕が必要。
流れが悪い時こそ、自分が試されていると思う。
人生は緩急がある。
自分の人生を振り返っても、同じく。
患者さんの話で、ある時期から加速度的に人生が進んだということを伺う。
どうやら当処を訪れたタイミングから、何かが起こったようだ。
謙遜でもなく、自分はただ目の前の身体、そして患者さんと向き合うことに一生懸命。
ただ、それだけ。特別なことは何も無い。
その時たまたま、身体の中の何かのスイッチが入るのだろうか。
いや、そもそもその方の人生が先に急展開が決まっていて、ちょうどタイミングが
重なったのか。
まあ、どちらでもよいのだが、人生ってそういう風に展開していくんだなと思った。
運命のいたずら、偶然、必然・・・
何か特徴的なことが起こると、運命や人生について考えやすい。
しかし、平凡な変わらない日常もまた人生の1ページ。
色々な物事の先には結果がある。
結果について思うことがある。
結果、というのは捉え方の問題。
一時的にある結果が見えたとしても、それは実は経過なのかもしれない。
以後、変化する可能性を有しているかもしれない。
目立つもの、分かりやすいもの、極端なものが目立つ世の中。
しかし、地味で一見全く無意味、そして無価値のことにも存在意義がある。
後からじわじわ効いてくる、記憶に残る仕事をしていきたい。
先日、来られた方との話の中での一言。
「誰になろうとしているの?」
僕自身は僕でしかないし、それをより突き詰めていきたい。
様々な情報が世の中に溢れており、情報を探し始めたらキリが無い。
また、こういったものがいいですよ、カッコイイですよ、話題ですよというのも多い。
そういったものに自分を当てはめていけば、自分が無くなってしまうのは当然だ。
勝手にそう思っている。
自分は出来るだけ情報から離れようとしている。
情報を見ることは、選択肢を狭めるような気がするからだ。
経験上、やはり一度見た情報を参考にしてしまう。
ある設問に対する解答の仕方も、ある思考回路を植えつけられる。
それが良い場合もあるかもしれないが、出来るだけオリジナリティを目指したい。
誰かにとっての佳還処はり灸(かかんじょはりきゅう)と誰かにとっての
それは決して同じではない。
また、僕自身は、誰かに迎合するような鍼灸は出来るだけ避けたいと思っている。
そういう迎合の鍼灸が合う人も少なからず居るからだ。
誰も、自分以外の何者にもなれはしない。
また一つ、個人的な区切り。
また新たな始まり。
一人一人が様々な悩みを持ち、それぞれの人生を歩んでいる。
自分は誰になりたいのか。
そう、自分は自分にしかなれない。
だからこそ、自分との対話をやめない。
自分の仕事を省みる機会が与えられた。
いいことばかりではない。
身体に、そして症状に向き合っていくと、落とし穴がある。
自分の流儀、考えから少し離れた部分を押し進めると行き過ぎる。
一生懸命さが裏目に出る場合がある。
全ては縁や運、とも言い切れないが・・・
技の世界は非常に厳しい。
修行の世界だ。
山に例えれば、頂上ははっきり言って見えない。
また、標高がどのくらいかも皆目検討がつかない。
しかし、ただ山には登りたい。
下山は許されない。
ある程度自分の想像する何かには向かってはきているようだが、
まだまだほど遠い。
時折、自分の未熟さや至らなさにもがき苦しむが、そういった不足の
部分に対峙することで、力が生まれてくる。
私自身はいつもやってやろう、という気持ちで日々を過している。
1、2ヶ月鍼灸院を探されて、当処にたどり着いたという方がいらっしゃった。
このHPの写真やこのブログ、口コミのサイトの来られた方の声やそれに対する、
私の返信などを見ていただき、来たいと思われたそうだ。
色々な鍼灸院を探されて、その中から選んでいただけたのは本当に嬉しい。
そういった、来られた方の気持ちにお応えするべく、日々精進していきたい。